芥川賞受賞作の「時が滲(にじ)む朝」を買いに行った。自転車で近所の本屋に出かけたが売り切れで、月末にならないと入荷しないという。それから3軒の書店を回ったがどこも売り切れ。とうとう1時間も離れた大型店まで自転車で走って、ようやく手に入れることができた。さすがは史上初の中国人作家による芥川賞だけあって、注目度が高いということだろう。
 購入後、さっそく読んでみた。中国人著者、楊逸氏が書いた日本語は、やや雑なところもあり、文章に深さを感じられない部分もあった。しかし、私個人的には天安門事件に深い想いがあり、天安門事件に参加した主人公たちの緊張感ややり切れない気持ちは、ひしひしと伝わってきて、深い感銘を受けた。
 中国政府は現在も天安門逃亡者に注視している
 小説に登場する学生たちは、大学の先生から学んでいる過程で、詳しいことはよく理解できないまでも、民主化運動に興味を抱く。そして正義感に突き動かされ、天安門広場でのデモに参加する。
 天安門広場では、自由にあこがれる学生が、自由の女神を人民英雄記念碑の隣にたてた。まさか、そのデモが拡大して、大勢の人が殺された天安門事件になっていくとは、よもや思わなかったのだ。その後、学生たちは拘置所に拘束され、その後、日本に逃げるというのが、この小説のストーリーである。
 中国政府は、今でも天安門事件で逃亡した中国人の動向に注視している。アメリカなどに逃げた当時の学生が、最近は各地でチベット関連のデモに参加しているからである。愛国デモの参加者たちにしても、いつ反政府に翻るかわからない。そうなれば、デモの広がりは天安門事件どころではなくなってしまう。
 この受賞に何より意味があるのは、天安門事件のことが書かれた本が、中国ではなく、日本で評価されたことである。北京五輪後、これからの中国がどう変わるのか? 中国は民主化への移行を進めることができるのか? 楊逸氏の芥川賞受賞は、中国の変化を触発する大きなきっかけになるだろう。賞を与えた日本の文壇にも、そうした意図があったのかもしれない。
 ただ残念なことに、日本では「天安門事件で民主化運動に身を投じた青年が大学を追われて日本に渡る」となっているこの小説の紹介文を、中国のメディアではそうは伝えていない。「中国の農村から日本に渡った中国人男性が体験した理想と現実の落差を描いた」などと紹介されている。
主人公の父は北京大学時代に「資本家や地主だから悪い人だと決め付けるのは弁証法に矛盾する」と発言し、1957年の「反右派運動」に巻き込まれて農村へ放下させられている。農村から出たい主人公たちは必死で受験勉強をし、念願の大学に合格するが、中国では地方の若者が大学へ進学するのは現在でも難しい。
 入試制度も、地方出身者には不利になっている。大学は、地方からの学生を受け入れたくないために、通常であれば合格点115点の大学でも、地方出身者は130点取らなければ合格できない。
 この小説の主人公が、やっとのことで進学し、大学の先生に教わったことは「民主化」であった。父や母に反対されても今度こそ民主化される、自分たちで政治を変えられる、と楽観的に考えていた主人公の描写は、今の反政府デモなどに参加している中国人たちとも重なってみえた。
 今も実現していない学生たちの民主化への思い
 今年の6月3日、中国外交部の秦剛報道官は報道陣に対し「天安門事件については、すでに明確な結論が出ている」とし再評価の考えがないことを示している。そもそも天安門事件を、政府は「反動分子による動乱」と位置づけている。
 主人公が拘置所からでて大学に戻ったとき「動乱分子を徹底的に打撃し安定した団結社会を守ろう」と書かれたスローガンが貼られていた。
 だが国を愛することをモットーと掲げても、なぜ人を愛する歌は禁止されていたのか? 学生たちは疑問を持ちながら、「テレサ・テンなど香港や台湾のカセットテープを独自のルートで取り寄せ、外に漏れないように小さい音で愛の歌を胸を高まらせながら聞いている」というくだりに心打たれる。
 また、最後の、料理店の主人とのやり取りのシーンが印象に残った。「自由な国になる?蒋介石を台湾から呼び戻すこと? 反革命になる! 死刑? 違う民主主義にするだけ?」「そんな理想より今日の飯が大事」「ただアメリカのように与党と野党がいて、自由がある国にしたい」
 だいぶ省略してしまったが、そんな店の人とのやり取りから、まだ知らぬ民主主義国を想像と夢でしか話せない学生たちのむなしさが感じられた。
 自由な国を願って命を落とした学生たちの思いは、あれから20年近くたった今でも、かなっていない。